【競馬】個人的名レースベスト10
はじめに
日曜日は菊花賞。
ディープインパクトが無敗で三冠を達成したのは2005年、オルフェーヴルが三冠を達成したのは2011年と、自分が競馬を見始めてからは三冠馬は現れていない。
そのため、今年コントレイルが無敗で三冠を成し遂げてくれるのを非常に心待ちにしているし、リアルタイムで見れる喜びを感じている。
前置きが長くなったが、競馬熱が高まっている今、個人的な名レースベスト10を作成してみようと思った。
完全に独断と偏見だし、ほとんどが競馬を見始める前のものであるが、どれも思い入れの深いものである。
それでは、第十位から紹介していく。
第十位:2019年 有馬記念(リスグラシュー)
ベスト10の中で唯一現地で観戦したレースである。
このレースでは、三冠牝馬アーモンドアイと5歳にして覚醒したリスグラシューの直接対決が注目されていた。
個人的にも、思い入れ深いアルアインの引退レースということで、すごく注目していた一戦であった。
直線ではアーモンドアイがいつもの末脚を見せるかと思いきや不発に終わる。
一方のリスグラシューは中山の短い直線で他馬を千切り、五馬身差の圧勝。
このリスグラシューのあまりに凄さに、現地で見ていた自分は思わず声を失ってしまった。
馬券に関係なく良いレースが見れたと感じたのはこれが初めてであり、このレースを個人的名レースの第十位にランクインさせて貰った。
第九位:2018年 宝塚記念(ミッキーロケット)
第十位と引き続き最近のレースを選出。
オッズが少し割れたレースではあるが、凱旋門賞遠征から勝ちきれていなかったサトノダイヤモンドが一番人気に支持されていた。
結果は七番人気のミッキーロケットが、内で逃げ粘り大番狂わせの一着。
2,3着もそれぞれ人気薄となり、とても波乱の一戦となった。
このレースでは、和田竜二騎手が世紀末覇王テイエムオペラオーで天皇賞・春を制して以来、17年ぶりにG1で勝利を挙げた。
奇しくも同年5月にテイエムオペラオーは22歳で亡くなっており、和田騎手のG1勝利はオペラオーからの贈り物と感動を呼んだ。
ゴール後すぐに涙を堪えきれなくなる和田騎手の姿を見て、自分も思わず目頭が熱くなったのを覚えている。
17年越しの悲願達成、そしてテイエムオペラオーとのドラマ性から、このレースを個人的名レースの第九位にランクインさせて貰った。
第八位:2013年 有馬記念(オルフェーヴル)
オルフェーヴルのラストラン。
三冠に凱旋門賞2着2度という圧倒的な強さを見せつけてくれた暴君も、この有馬記念を最後に引退が決められており、勿論一番人気に支持されていた。
ウインバリアシオンやゴールドシップといったメンバーが揃った中、どのようなレースを見せてくれるのか。
早め4コーナーで先頭に並びかけるオルフェーヴルは、直線で他馬を寄せ付けない。
一馬身、二馬身、三馬身と一頭だけ別次元の走りでゴールへ駆け抜けていく。
その結果は何と8馬身差の圧勝。
「抜けた!抜けた!抜けた!」
実況がそう語るように、まさにオルフェーヴルの圧倒的な強さを見せつけてくれたレースであった。
ラストランの衝撃的な走りから、このレースを個人的名レースの第八位にランクインさせて貰った。
第七位:2001年 香港ヴァーズ(ステイゴールド)
ステイゴールドの引退レース。
気性の荒さから類稀なる素質を活かしきれず、シルバーコレクターとして愛されたステイゴールドも50戦目の香港ヴァーズで引退が決定。
これまで長きに渡り数々のライバルたちと熱い戦いを繰り広げてくれたステイゴールドも結局G1タイトルは手が届いておらず、この香港では最終レースにして初のG1で一番人気に支持、念願のG1制覇が期待されていた。
皆が祈るように見つめる中、直線を向いて先頭とは7馬身。
残り200mを通過しても、まだ3~4馬身ほど。
また、善戦止まりか。
多くの人が諦めるような展開で、ステイゴールドは驚異の追い込みを見せる。
瞬く間に先頭との差を縮めていき、残り3馬身、2馬身、1馬身、ゴール目前で先頭を捉え、そして差し切る。
これまで善戦止まりだった馬が、日本を代表する名馬へとなった瞬間だった。
ステイゴールドの現地表記は「黄金旅程」。まさに彼らしい輝かしい現役生活であると言えよう。
そして、ステイゴールドの黄金の旅路は、オルフェーブル・ゴールドシップ、その次の世代へと引き継がれていくことだろう。
最後の最後に見せた驚異の追い込みと、黄金旅程の名にふさわしい有終の美を飾った姿から、このレースを個人的名レースの第七位にランクインさせて貰った。
第六位:1998年 金鯱賞(サイレンススズカ)
G3ながらサイレンススズカの伝説的レースということで六位に選出。
3歳の頃から素質を見込まれていたものの、高すぎるポテンシャルを活かしきれず、日本優駿・天皇賞秋・マイルCSなど、勝利からは遠ざかっていたサイレンススズカ。
そのスズカが、名手武豊と運命の出会いを果たしたのが、12月の香港国際カップであった。
ここでは5着に敗れるものの、スズカの素質を見抜いた武豊が、「逃げて差す」というスズカの代名詞とも言えるスタイルを教え込むことに。
バレンタインS・中山記念・小倉大賞典を3連勝したスズカは、金鯱賞へ出走。
相手関係もマチカネフクキタル・ミッドナイトベッドと、これまでよりも強化されており、少し不安視されていたという。
しかし、スズカはこのレースで後に伝説とされる走りを見せてくれる。
大方の予想通り大逃げに出るスズカ。しかも、1000m通過58秒1という狂気のハイペース。
どこで差されるのか、多くの人がそう思ったに違いない。
しかしながら、3コーナーを回っても、4コーナーを回って直線に入っても、他馬との差は縮まらない。むしろ、広がっていく。もはや同じカメラで捉えきれないほどの差がついている。
結果は、何と11馬身の大差勝ち。
日本の重賞での大差勝ちは、2020年現在もこのレースを最後に現れていない。
これがサイレンススズカが伝説と呼ばれる所以である。
狂気のハイペース、11馬身の伝説から、このレースを個人的名レースの第六位にランクインさせて貰った。
第五位〜第一位
思ったよりも書くのが大変なので、残りは後半で。